児玉龍彦教授「放射線の健康への影響について」

以下、ライターの守田さんが、児玉龍彦教授の「放射線の健康への影響について」発言を文章に起こしてらっしゃいましたので、転載します。youtubeでその真剣さが伝わります。特に子供への影響についてコメントしてらっしゃるので、お読みください。

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8f7f0d5f9d925ebfe7c57aa544efd862

衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響について」
児玉龍彦教授発言 7月27日
http://www.youtube.com/watch?v=eubj2tmb86M

私は東京大学アイソトープ総合センター長の児玉です。
3月15日に、大変に驚愕しました。私ども東京大学には27箇所の
アイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任
を負っております。

私自身は内科の医者でして、東大病院の放射線の除染などに数十
年関わっております。まず3月15日の午前9時ごろ、東海村で5マイ
クロシーベルトという線量を経験(観測)しまして、それを文科省
に第10条通報ということで直ちに通報いたしました。

その後東京で0.5マイクロシーベルトを超える線量を検出しま
した。これは一過性に下がりまして、そのあと3月21日に東京で雨
が降り0.2マイクロシーベルト等の線量が降下し、これが今日ま
での高い線量の原因になっていると思っております。このときに
枝野官房長官が、さしあたり健康にあまり問題がないということを
おっしゃいましたが、私はじっさいにこのときにこれは大変なこと
になると思いました。なぜなら現行の放射線の障害防止法というの
は、高い線量の放射線が少しあることを前提にしています。このと
きは総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。

ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロ圏で5マイクロ
シーベルト、200キロ圏で0.5マイクロシーベルト、さらにそれを越
えて、足柄から静岡のお茶にまで汚染が及んでいることは、今日、
すべてのみなさんがご存じの通りであります。

われわれが放射線障害をみるときには総量を見ます。それでは政府
と東京電力はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであ
るかはっきりとした報告はまったくしていません。

そこで私どもはアイソトープセンターの知識をもとに計算してみま
すと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するもの
が露出しております。ウラン換算では20個分のものが漏出していま
す。

さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の
残存量と、原発から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が
1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は
10分の1程度にしかならない。

つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数
十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出
したということが、まず考える前提になります。

そうしますと、われわれはシステム生物学というシステム論的にも
のをみるやり方でやっているのですが、総量が少ない場合には、あ
る人にかかる濃度だけを見ればいいです。しかしながら総量が非常
に膨大にありますと、これは粒子の問題です。

粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、われわれ
の流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料と
いうものは、砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋
め込まれております。

これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさ
ん放出されるようになります。そうしたものが出てまいりますと、
どういうことがおこるかというのが今回の稲藁の問題です。例えば
岩手の藤原町(注)では、稲藁5万7千ベクレルパーキログラム、
宮城県の大崎1万7千ベクレルパーキログラム、南相馬市10万6千パー
キログラム、白河市9万7千パーキログラム、岩手6万4千パーキロ
グラムということで、この数値はけして同心円上にはいかない。
どこでどう落ちているかということは、その時の天候、また例えば
その物質が水を吸い上げたかどうか、にかかります。

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徒然に

ドナルド・キーンさんが日本文学の研究を始めたきっかけは、第二次世界大戦時に残された日米それぞれの兵士たちの日記を翻訳したことに始まる。アメリカの場合は事実の記述やメッセージが多いのだが、日本の兵士たちは日記に自分たちの内面の吐露が見られた。
キーンさんはそこに日本の秘密があると直感し研究を始めた。

万葉から源氏物語へと至る日本文学を研究したのも、そこに流れる昔から脈々と続く言霊と、源氏にいたっては外来の仏教が流行する平安の時代風潮の中にあって必死になって抵抗し、かな文学によって日本語の神髄を残そうとした精神を見ているはずだ。

もともと日本語は緊張の上に生まれている。一神教のように神のもとで、あなたと私を関係づけるものはなく、英語のyouにあたる呼び方も、あなた、あんた、君、お前、もうありとあらゆる呼び方を使いこなしている。もともとが緊張に満ちている。だから相手との関係をよくするために生み出された多様な呼び方や語彙が豊かな言語になっている。
鈴虫の泣き声を右脳で聴くか左脳で聴くかという欧米人と日本人の脳構造の違いは有名な話だが、環境の言葉として左脳で処理しているそんなところにも通じている話だろう。

キーンさんが日本に帰化するという。キーンさんの周りでは誰も驚かず当たり前のように受け止められてらしい。80歳を過ぎてられ最後の人生を日本のために使ってくださる

日本が震災に直面しているのは先進諸国のなかで初めての事ばかり。
初めて生まれた難民、過疎化している中で行う町づくり、復興ではなく再生、中央からひどい扱いを受けてきた東北の歴史。

日本の再生・復興がどうなるのか見守り続けてくれている海外の日本ファンの方々がいる。お礼を申しあげると共に、集まった義捐金がどう使われどう復興しているのか、海外に対してお知らせしていくことも必要となる。

戦後の日本人は、自分たちの内面を表現することをしなくなってしまったと思う。
さかのぼれば明治以降から始まった傾向だろう。
戦後日本が進んできた外側の基準を優先する国づくり、つまり、いい大学、つぶれない企業、こういう外側のフレームが優先されてきたわけだが、今や球の内側と外側がひっくり返って逆になるくらいのことが起こっている。

その深い深い答えを模索するためには、今まで通りの意識ではわからない人間の存在に対しての理解と共感を取り戻すために、人間をベースにした考え方が何にもまして優先される。

人間は捨てたもんじゃない。
この前提に立つと人の力は合わさって、1足す1は3にも5にもなる。
そんな時代に私たちは生きている。