日本について

昨秋から日本を捉え直ししたいという欲求が強い。
岡潔さんの「春宵十話」「日本人のこころ」「日本民族」を読む。
言わずとしれた日本を代表する大数学者。
何よりも前に文化と自然を置く。
政治よりも経済よりも前に。考えてみたら当たり前のこと。
人間がいて始めて社会が成り立つ訳だから、この人間の命を育む自然・文化を抜きにして、語ることはできないという強い使命感がある。
そして、命を育む自然と日本人の関係を、「情緒」「情操」から掘り起こし、万葉、芭蕉を通じて日本人の情操に流れる源流を捉えていく。
1960年代に書かれた本だが、人の顔に獣性が宿ってしまっているという危機感を持っていらっしゃる。
獣に象徴される自己中心性は、お金、自分だけ良ければいい、などなど、ローマ末期を思わせる資本主義の退廃過程として現代を見ている。バベルの塔はいずれ崩壊する。
数学は芸術。この言葉も胸を打つ。

岡潔さんが数学で研究成果を上げられた分野は、当時の3つあった領域から新たな成果を出された訳だが、外国からは、OKAKIYOSHI がチーム名なのではないかと思われたこと、そして、実は、たった一人の人間が行った研究成果だったことが驚愕された。

自身の体、心で何が起こって創造の発露が生まれたかを書かれているが、自然が関係している。
「創造は生命の燃焼である」とは岡潔さんの言葉。
創造活動が、体と感性を通して行われており、熟成の期間を通った後、はっと気がつくというプロセスでもある。

小さなところでは、個人的に、仕事の行き詰まりや、実務的なアイデアが必要なとき、公園を散歩してくることにしており、大体、戻ってくると整理され解決の糸口をつかんでいるというやり方を持っている。どうしても緑豊かな大きな公園が必要になっている。

岡さんの著作を読んでいるとき、「感動する!数学」(桜井進著)を知った。

特に、黄金率について少し紹介すると、オウム貝やひまわりの種の配列、そしてマツボックリやツクシの螺旋が大きくなっていく比率と銀河系の渦巻きが大きくなっていく比率は等しい。また、オウム貝の渦巻きを500万倍に拡大するとハリケーンの渦巻き雲になる。
この比率は、また人間のDNAにも見られ、1単位の長さと幅の比率も同じ。自然界のいたるところで見いだされる。頭のつむじも同じなのだろう。
この黄金律は、数学のフィボナッチ数と呼ばれる。
フィボナッチ数とは、隣り合った数を横に数で順次足していくとできあがる数列で、0,1,1,2,3,5,8,13・・・と続く。
次に、右の数字から左の数字で割ってみると、数が大きくなればなるほど、1.618に限りなく近づいていく。5÷3=1.666、8÷5=1.600、13÷8=1.625と続けると、限りなく1.618に近づく。
自然界のみならず、金融相場の世界でも見られ、有名なエリオット波動(3波と2波で形成される相場の値動き)もフィボナッチ数列に対応していることが多い。
日本の縄文土器の文様は、曲線が多いことで知られるが、渦巻きは多く存在している。改めて人間の自己中心的な世界がいかにちっぽけな世界でしかないかを知ることになる。

縄文をルーツとする考え方を今までもっていたのだけれど、日本は多様性に富んだ国で、受け入れて多様性を広げると同時にもう一つ逆のベクトルである一途さを同時に持つ世界でも稀に見る国という考え方を取り始めている。
一途は宗教性に関係する。
この国は本当に不思議だ。人間に「ゆらぎ」がある。ゆらぎは1/f ゆらぎとして広く知られているが、例えば、アニメのキャラでもそう。ヒーローがずっこけたり、カッコ良かったり、泣いたり、笑ったり、同じ存在の中でさまざまな多面性が飛び出てくるし(多次元を同時存在していると言ってもいい)そして演出が面白い。このあたりがジャパニメーションの強み。例えば、バットマンは、善悪を前提にしているがために、キャラの行動が決まっているし、一神教では限界があるんだろう、とも思う。

ちなみに、最近大ヒットを飛ばしている洋画アバター(ジェームズ・キャメロン監督)を見たが、もののけ姫のアイデアが入っている。獣を殺して自分たちの食とするときに、神道の循環的な世界観が取り入れられているし、森の精も、もののけ姫で登場する。そういう循環的世界をハリウッドが自分たちの限界を破るために取り入れ始めたのだなあというのが、見終わった感想だった。

アメリカは歴史が無い代わりに、映画で歴史を作ろうとする国。
どんな映画がヒットするかを観ていると面白い。
リバタリアニズムのクリント・イーストウッド作品などがもっと観られるようになると、変わる可能性をもっている。

しかし、今のアメリカの中には、戦争を問題解決の手段としている勢力があるのも確か。

アメリカがヤバくなればなるほど、戦争の可能性が高まる。中東が火を噴く可能性がある。
今年秋以降が問題。

経済的に言えば、今回のデリバティブ崩壊にともなって、CDS(クレジット・デフォルト・オブ・スワップ)は、リーマンの際に相殺されたが(つまり、両サイドの持ち主双方が、オープンにして相殺したことで損失は8%程度に抑えられた)、CDOはいたるといころに入り込んでいるため、この相殺による解決が事実上取れない。
だからアメリカが本当にコケたとき、戦争か、統制経済か、そして統制経済を世界に波及させるか、選択肢は限られている。

しかしながら、予想に反したことが起こるのも歴史。

世界的な危機回避は、日本がアメリカとの関係を含め、どんなモデルを作れるかに依っていると言っても過言ではないだろう。

心して生きよう。