現在出ている話はどういう立場をとるかという観点の問題であり、違う観点からは全く逆のことを言う人もいる。情報化社会において、現象はすべて相対化されてくる。
だからこそ歴史に学ぶことの大切さが必要だろう。
それは、未来があるかどうか。未来を創れるかどうか。
小沢さんが自分でも言っていたと思うが、民主党が政権を取ってもうまくいかないこともあるだろう、と。しかしながら、3年政権が持ち、予算編成を何度かやれば、日本の官僚制による弊害が無くなるだろう、と。
自分たちが自分たちの足で立ちましょうと。
日本の政治家が、アメリカの議員にすらまともに会えないことはよく知られており、アメリカ以外の国においては政治的に対等であっても、アメリカに対してのみ隷属の関係になっている。
アメリカから見たら、日本は脅かせば言うことを聞く金の卵の存在となっている。
そして日本はアメリカの国債を600兆円買っている。現在、政治家はギリギリのところにきている。ただ、問題は官僚制度だ。政治家と官僚の関係が逆転している。
日本の権力の成り立ちと官僚制の元を考えるうえで、幕末から明治維新そして最後の西南戦争の流れを捉えたほうがいいだろう。
先日、松岡正剛氏が西郷隆盛について書かれた「西郷隆盛語録」を読み、西南戦争の後に完成する日本の権力と官僚制が理解できた。(長いけれど是非読まれることをお勧めしたい)
上野にある西郷隆盛像を想い出す。
どうして浴衣姿なのか。どうして犬を連れているのか。
製作は、高村光雲だ。岡倉天心につながる。
この銅像には、深い深い愛があり、共鳴してやまない日本国民がいる。
有史以来、始めて人類に訪れていることの一つとして、
すべての人が歴史に参加している、ということがある。その中でネットが果たしている役割は果てしなく大きい。