「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」 を観て

NHK教育テレビで放映されたETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」を観た。

語り口は、彫像を彫るように、進む。

80年代にミシェル・フーコーが来日した時、まともに渡り合えたのは吉本さんくらいだったと記憶している。

「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」は、
今年の正月番組で楽しみにしていた特集だった。

今の時代にあって、吉本さんがこれは伝えておきたいという熱い思いがあった。

言語の根幹に沈黙を置き、自己表出が自然との関係において相互に影響しあうことを語っておられる。

自己表出の結果、自らも影響を受けるのである。
このことは語りつくせないほど大きい。
別の言い方でいうと、表現された自己表出は、共同体、社会にまで影響を与える。

現代のモノとお金が入り乱れて価値を作り出している世の中において、
吉本さんの芸術論はこの価値に対して、異議を申し立てる人間の精神活動の最後の砦ともいえる。
そして私たちはこのアンヴィヴァレンツを生きている。

日本語は美しい。

言葉はその人の性格まで決定づける。外国人の女性が日本語を話すと、日本人の女性よりも日本人らしく感じられることを考えても分かる。
私には、日本語のベースは母音で話しているのではないだろうかと思う時がある。欧米では子音がベースだ。分析をしたり対象化したりする場合にはアルファベット言語のほうが強い。

1980年代、角田忠信教授の右脳論がブームになった。欧米人は虫の鳴き声を環境音のひとつとして聞いているが、日本人は言葉として聞いている。
日本人と自然の関係は、根本で欧米と異なる。
(注:日本人の脳については、ポリネシアの人たちと類似構造が見られる分析がある。
三木成夫著 海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想 より)
吉本さんも自己表出の話を自然との関係で語られている。

自然に対しての恐怖か調和か、欧米と日本を分ける一番元の根っこはここにある。

最悪の事態を認識しない限り、希望は生まれない

朝倉慶氏の「大恐慌入門」、副島隆彦氏の「連鎖する大暴落」、佐藤優氏との対談「暴走する国家 恐慌化する世界」を読む。
「大恐慌入門」で、CDS、SIVの破綻が中央銀行でも処理できないくらいの金額に膨れ上がっている事実を知る。
アメリカのドル増刷~デノミの流れは、かなり高い確率であると見た。

私たちは、1929年の大恐慌を知らない。
しかしながら、当時の大恐慌よりも悪い事態に地滑りする可能性を覚悟しなければならないだろう。

金融システムの崩壊、ひいては近代資本主義の崩壊まで覚悟する必要があると考えている。
小泉・竹中改悪によってセーフティーネットは存在しない。そして社会のアノミー化(無秩序・無規範化)を避けなければならない。
*日本社会のアノミー化現象を分析する著作は、小室直樹氏の「日本国民に告ぐ」に詳しい。

その結果、国家による管理・統制が行われる可能性がある。国家は簡単に暴力をふるうことができる。

恐怖は人間をコントロールしうる最強の手段になりうる。危ない。

最悪の事態を認識しない限り、希望は生まれない、そう感じている。

新しいシステムの創出の必要。そのシステムの中核は、助け合いがキーワードであると感じている。

経団連の年初メッセージは「イノベーション」となっている。
しかし、一言足りないような気がする。
「破壊的イノベーション」が本当のところ。

破壊的イノベーションとは
IT分野で言うと
windowsに対してのLinux
エネルギー分野に対しての太陽光発電
同じイノベーションでもその分野を劇的に変える力を持ったイノベーションだ。

日本は戦後、技術で成長した。
なぜこれだけの技術力を日本が持てたのだろうか?
プロジェクトXを見ても普通のおじさんが一念発起して生み出したものが多い。
逆境にめげずひつこくひつこく考え抜いて生まれる技術。
あるときふっとひらめくアイデア。
日本には創造工学の系譜がある。アメリカのデボノ理論は及ばない。
亡き市川亀久弥教授が代表だ。湯川秀樹教授も市川先生の創造工学に協力している。
日本の創造工学を紐解くと、自然との関係から生まれていることが分かる。
デボノ理論と異なるのはそこだ。
販売、マーケティングなどの基本戦略と日本の技術が結びつく強みは世界に類に見ないものになるだろう。

新しい幕開けができる企業が、そのパラダイムシフトとネットワークを伴って社会と経済を作り直していくイメージを持っている。
状況に痛みと崩壊が伴っているが、新しく出ている芽が何よりも大切だ。

日本人はもっと誇りをもっていい。
昨年か一昨年だったか、ワールドワイドに行われたアンケートで、戦後、世界で一番貢献した国は?の答えに、ダントツ一位で日本が選ばれている。

イラクの人たちもズタズタになった国に、HONDAなど日本の精神ある企業が入ってくれることを、心から待っていたのだ。