巨大地震「連動」のリスク そして猛暑について

以前にも書いた世界的な巨大地震が、離れた場所での巨大地震を誘発しているというナショナルジオグラフィックの記事を紹介した。

日経のWEB記事を読む限り、このことが前提になっているようだ。

地震の際にどんなことが必要になるのか?世のため人のため地球のためを考えるベンチャー企業が立ち上がって欲しいと思う。
簡単なところでは、事務所にPCが多いので、地震の際、パソコンが凶器になって飛んでくるという。これを固定してくれるサービスが出てくれたら、多分、すぐに申し込みすると思う。
防災グッズにスリッパは必須。砕け散ったガラスの上を裸足で歩けない。安否確認システムみたいなのがあったらいい。
いろんな商品やサービスが考えられるだろう。

いずれにしても、地球の危機は、仕事で乗り越えるという人たちが現れてこそ、先がある。

日本は地震が多い国。世界の中でも有数の技術がある。
ヨーロッパやアメリカの石の建物文化に対して、木の建物文化は、より柔軟な構造に対応できる。
この揺れても崩壊しない構造づくりが鉄筋においても活かされているのだろう。
今の中国やインドは都市部でビルを建てまくっているが、地震前提にビルを建築していないとしたら、大変なリスクを今後背負うことになるだろう。

さて、この夏の暑さも、偏西風の流れが変わったことによって
海水の温度が上がり生じていることらしい。
エルニーニョでは日本は寒波になり、ラニーニャでは猛暑になる。
wikipedia:エルニーニョ参照。

エルニーニョは温暖化が原因ではないとされている。
周期的に訪れる現象。

しかし、直感でいえば、良くなることはないだろう。
そして人類は自然に対して支払う代償が、どんどん大きくなるだろう。

20代の頃に地球の軸がズレてきているというデータを見た。
それは核実験があるたびに、北極を真上から見ると、きれいに円周を描いていた地軸の軌道が、
ギザギザの円周を描くようになるというデータだった。

現在は、地震によって、更に、その円周がズレているのかもしれない。地球が地殻変動期に入っているため。

自然環境は、その非線形の世界で、突然、雪崩的にカタストロフを起こす。

いずれにしても、次の資本主義のステージは、人間がこの惑星で生きていける手だてをいかに身に付けるか?何がわからなければならないか?にかかっていると思う。

人間は、予測を裏切ることができる唯一の生き物である。

予測を裏切ること

予測を裏切ることは、創造に通じている。

毎日が暑い、世界のいたるところで大雨や洪水が起こっている。

予測で考えると、地球の環境は益々悪化する一方。
資源も限られている。

でも、人間は、予測を裏切ることができる唯一の生き物。

それは創造に通じている。

富士山に登る

人間は、人間が作った社会をコントロールできなくなっている、これが最近の実感。
壊れるものと生まれるもの。
せっかく二度とない人生、生まれる側に賭けよう。

7月に以前から興味があった千葉県佐倉市にある麻賀多神社に行った。

そして、8月は富士山に登った。
5合目までバスで。そして8合目の山小屋で一泊。
深夜2時から頂上をめざして登山。

「見晴しが良い」の見晴らしは、「身を晴らす」に通じることがわかる。
そして、「晴らす」とは、平和を作り上げる力に通じている。

就寝中の蚊を撃退する方法

夏の夜、ぐっすり眠っているときに、ぷ~んぷ~んと耳元で飛ぶ蚊。
嫌ですね。
手で払ってもまた戻ってくるひつこさは、CO2のせいです。
そこで私が編み出した蚊の撃退方法を紹介します。

先ず、蚊が飛んでいるときに
掛け布団を、顔の上50cmくらいに、ガバッと上に持ち上げます。
頭と布団の間に入り口をトンネルのように作るわけです。
出口の無い布団トンネルです。

ぷ~んと飛んできた蚊をそのトンネル空間に呼び込みます。
そして、入った!というところで、急いで布団を覆いかぶせます。
頭の上あたりまで戻します。
蚊を布団と体の間に呼び込んだわけです。

そして、両手を布団から出して、外から布団をパンパン叩きます。

布団と体の間で行き場を失った蚊は、このパンパン攻撃にやられるわけです。

朝起きたとき、顔に蚊がくっついていないかチェックしましょう。
そして、隣で奥さんが寝ていたら、何事かと思いますので
事前に話しておきましょう(笑)

この発想は、アングロサクソンでは出ないと思います(^^)
蚊を追っかけて叩き潰すというのが、アングロサクソン的だとすると、ですが。

8月9日

「分かる」とは、どういうことなんだろう?

そんなことを考えていた日だった。

昼、小林秀雄さんの講演CDを聴いていた。
そこで、本居宣長さんについて、以前は2つの側面で説明しようとする人たち対して
直覚的に違うと感じた、らしい。

こういう面もあるし、もう一つ別の面もある、というように。

小林秀雄さんは、本居宣長が一つになって現れてくるので読み込んだという。

分ける → 分かるということは一体どんな行為をしているのだろう?

分ける人が、その人にとって、都合のいい解釈やグルーピングをしており、
それは分ける主体が恣意的な作業を行っているため、分けられたものは、本来のものとは異った断片に対象化されてしまう。

それは言葉によって分けられた数限りない断片を、ああだこうだとやっていることに他ならないのだろう。

人はその作業で自分を納得させているかで、友人らしき人たちと文脈を共有している訳だが、その結果、徒党を組むことになる。

本当は分けられない。だから簡単には分からない。

簡単には分からないと考えている人たちが、真理を求めるとき、アカデメイアの地平に光が射す。

そんなことを考えていた日だった。

今日、8月9日は長崎に原爆が落ちた日。

分けないで考えると、その悲惨さに胸が痛む。

8月6日は原爆が落ちた日

広島に原子爆弾が落ち、14万人の罪もない市民が亡くなられた。

そして今も被爆で苦しんでいる人たちがいる。

絶対に忘れてはならない日。

今起こっていること

現象界が煮詰まっている。現象界は、モノとカネの世界。
この煮詰まりの結果、自己都合で思いやりのかけらもない自己中心的な意識とともに
人間の感情や衝動が噴出してくる。

一つ一つの小さな現象でも明確な背景と輪郭を持ってくる。

その出来事はなぜ生じたのか?
その出来事には、どんな要素が組み合わさっていたのか?

ニュースで毎日のように報じられる出来事にしても、政治にしても経済にしても
この現象界での組み合わせの結果、起こっている。
膨張のインフレに対して、収縮のデフレは、構成する要素をより明確にしてしまう傾向があるため
煮詰まりが起こる。

人間の感情についても然り。
ちょっとしたことで怒ったりするのは、感情が現象に左右され、川面に揺れる浮舟のようなあやふやなものになっているからであろう。
そして自分にとってちょっと都合のいいことがあると幸せだとか喜びだと感じているのが現実である。

しかしながら、より深く、より遠くから全く異なるエネルギーが生まれていると感じている。
煮詰まれば煮詰まるほど、深く遠いところから、はっきりして浮かび上がってくるもの。

分かりやすく仕事で言えば、それは、ミッション、ビジョンと呼ばれるものであり、トップ=代表が体現しているものになる。

モノは、合わせ鏡で考えるならば、その裏で作り出しているのは人間である。
どうもここがひっくり返ってしまっている。モノが先にあって人間が従属しているようなひっくり返り方が気に食わない。

昔、宮大工の方と話す機会があり、昭和30年代から始まった高度経済成長期に販売された家が、生涯住み続けるには、建て替えが必要になる日本の住宅事情に憤り、一生涯住める独自の注文住宅を事業展開された方だった。先日、奥山清行氏の本「伝統の逆襲」を読んだ。
やはり闘っている方々には、胸を打つものがある。

安くて使い捨てというアメリカナイズされた文化は、元々日本にはなかった。

さて、この使い捨て文化の傾向は、1995年から加速する。
日米構造協議である。大店法の撤廃が、商店街を壊滅状態に追いやり、地域の共同体が崩壊し、郊外の風景が崩れた。戦後二回目の敗戦だった。そして年次改革要望書が毎年突きつけられる。
2009年12月以降の改革書は、亀井元金融大臣が止めていたという話もあるが。

ワンシーズンしか使えないユニクロの千円セーターは、罪つくりと言わなければならない。
別にユニクロ全体を否定しているわけではなく、ヒートテック靴下は私も重宝した訳だが、
奥山氏の言葉を借りて言うならば、
モノを作るということは、生きているものを殺して作り上げる訳だから、今までより以上の価値を持つものを創り上げなければゴミを作ることになる。

少し引用しよう。

「伝統の逆襲より 引用~
「もの」を創造するときは必ず、どこかで同時に破壊行為が行われている。建築をする時は森で木が切り倒されているわけであり、自動車を作る陰には、大地を 削って鉱石を掘り出し、エネルギーを注ぎ込んで精錬している。最近では「環境に負荷をかける」という言い方がなされるがすべて破壊行為にほかならない。自 分の目に入らないところで起きているからといって、なかったことにはならないのだ。
だから破壊行為を上回るだけの「もの」の価値がなければ、新しいものは作ってならないのである。それがモノ作りをする人間にとっての規範だ。私は「レトロ 商品は根本的に悪である」と言い切っているのだが、それは破壊行為をしておきながら、昔と同じもの作っているからである。
~引用終わり」

これは凄い精神である。

言い換えれば、エントロピーの法則から私たちは逃れることはできず、使えるモノから使えないモノに変換せざるをえない文明の中に生きており、その物質のエネルギーを役立てる志というか精神が、アメリカナイズされた大量生産~使い捨てという物質文明とは決定的に異なる。

食べ物で言うならば、マズイものを作るのは、冒涜である。モノを人間のために使えない形にして、マズイものを作る訳だから。そして要となるのは、モノを作っている人間の状態が関係している。
スタッフがハッピーにやっているレストランは美味しい。

数日前、自宅でパーティをやったとき、私は味噌汁を作った。
友人がシジミを持ってきてくれたのでシジミ汁を作ることにした。
「シジミの口が開いたら、味噌を入れて大丈夫だからね」と友人。
そして、煮立った出し汁にシジミを入れたとき、すぐに口が開いた。
自分は生きているものを殺し、食べようとしている、そして同時に言葉が出た。
「シジミさん、私たちのために命を捧げてくれて、ありがとう。あなたたちの命は無駄にはしません。」
友人は、「今日は、ありがとうの日だね」と言った。
みんなが美味いと舌鼓をうってくれたとき、何かが味方してくれていると感じた。

日本vsパラグアイ戦

今回の敗退は、今までと違う、そう思った。
次を感じさせてくれた。
チームワークが本当によかった。
PK戦で日本の敗退が決まったとき
すかさず駒野のもとにやってきたパラグアイの選手も偉い。
駒野の肩をずっと抱きかかえた松井も遠藤も優しい。
川島は自分が一本防げたら、と自分を責めている。

韓国は敗退が決まった直後、日本代表にがんばって欲しいとエール送っていた。

サッカーはきわめてヨーロッパ的なスポーツだ。一国が地球を覆うようなアメリカ的な要素は無い。
市民革命を経て、2回も大戦で国土が焦土と化したヨーロッパの中で育っている。

もんでもまれてお国柄が出る。

闘莉王が、もうこんないいチームワークは今後、生まれないかもしれない、と言っていた。
しかし、日本の誇るロケット博士こと糸川英夫さんの「独創力」から引用。
阿久悠さんと会ったときの話を書いてらっしゃる。
何度もレコード大賞を取った方だが、大ヒット曲ができるたびに、俺はもうこれで駄目かもしれない、と思いながら次の作詞を考えています、という話をされている。
糸川先生は「逆転の発想」がベストセラーになって、同じようにこの先もダメだろうと嘆息したらしい。そのあとで「ケースD」が評判となり、「前例がないからやってみよう」が続けてベストセラーになった。
全力を出しきった後に、次が生まれる、このことを糸川先生は言いたいのである。

120分の戦いを終えた選手たちは、全力を出しきった。

だから次がある。

次のワールドカップが楽しみだ。

ポストモダンには、根源でいく

昨日、ある学者が話すのを聞いていたら、意味は分かるが、伝わらないと思った。
言葉が記号化して、人の胸を打たない。

ポストモダンの時代だからこそ、より根源的なことが必要になる。

死生観、生き方、そして言霊が大切になる。

iPadは、やっぱり入荷待ちだった。。。

以下の投稿は、2010年5月のものになりますので、最新情報ではありません。

-----------------------------------

e-mobileを使っているので、PocketWiFiに契約変更して、よし!これでiPadが使える!と思って早速係りのお姉さんに購入申し込みしたら、やっぱり入荷予約待ちだった^^;
新宿のヨドバシカメラでダメならsofmapへと。これもダメだった。
6月中旬には入荷予定ということ。
すごい人気。。。

700gという軽さは魅力的で、WiFiエリアでなくても、PocketWiFiにしたら、どこでもネットは利用できるので、この方法で行こう!と楽しみにしたのだったが。。。

最近システム手帳(800g)をやめて、Mnemosyneという1ページを簡単にミシン目から切りはすことができるA5ノートにして、事務所に戻るとすぐにドキュメントスキャナーでpdfにするというスタイルに変えた。なかなか快適。

ペンケースを購入して、開くとペンの一覧が見えるタイプに。今までシステム手帳にペンをくっつけていた^^;
システム手帳のスケジュールは、Googleカレンダーにして、携帯からも入力できるようにしている。
住所録はoutlookで整理していたけれど、これもiPadとの間でコンバートはできそう。

いつもノートパソコン(lenovo X200 1.8kg)を持ち歩いているのをiPadに変更できて、システム手帳も持ち歩かず、軽くなっていいなあ、というのが私の新スタイルなのだけれど、入荷待ちでもう少しかかる。
iPadでメールが打てるかどうかは、やってみないと分からない。ワイヤレスのキーボードもオプションであるけれど、これは持ち歩くものではないみたい。

軽くなった分、昨年購入したsonyのビデオカメラを持ち歩きたいと思っていた。
時々、街の夕焼けが凄くきれいだから。

普天間基地は、実は辺野古にできない?

世界的に株の乱高下が激しかった5月。

ギリシャのソブリン・リスクを発端として始まったわけだが、EUそして中国・インド・ロシア・ブラジルを中心として、ベースにあるのは、「金融恐慌の元を作ったのはアメリカだろ」という怒りがあると考えていた。

しかしながら未だ世界の基軸通貨・ドルの代わりを出来る通貨がない。代替のシステムとして、通貨バスケットがあるが。

歴史的にもデリバティブの清算がどこかで必ず必要となる。EUも中国もそしてロシアもソフトランディングするにしてもハードランディングするにしても、まだ賞味期限が終わっていないこのアメリカという国に対して、深慮遠謀で対している。

そんな国際政治の中で、日本は第2次世界大戦以降出来上がったアメリカへのみつぎ役を続け、今でも毎年21兆円のアメリカ国債を購入し続けている。

アメリカにとって日本の存在は金を出し続ける金の卵である。第二次世界大戦以降、この流れはまだ変わっていない。

1995年の日米構造協議は、クリントン時代のアメリカが日本を分析しつくして突きつけた要求項目がずらりと並んでおり、日本の共同体を破壊しつくすものであったし、技術立国としての日本を根底から覆すものであったはず。そしてこの構造協議でできあがった日本の社会構造の変化に対して、小泉・竹中政権で行われたアメリカからのアクションプランは年次改革要望書に応え続けるものであり、出し殻のように働いて金を貢ぎ続けるだけの機能が強化されてしまった。

それで日本国民が豊かになったのかと言えば、答えはノーである。日本の底力がなくなり、更に愚民化が進んだ。

ビデオニュースで孫崎享氏(元外務省国際情報局長)の普天間問題についてのコメントを見た。

普天間の問題でも、日本は米軍基地の経費全体の75%を負担している。ドイツは30%であり、他の国で75%を出している国など見当たらないらしい。そして、各国において米軍基地の問題は、住民反対で同じように直面しているのが現実である。
鳩山首相は辺野古と言いつつも、結果的に辺野古の基地建設は無理だろうとコメントしており、興味深く、考えさせられる。
またこの辺野古騒動で、マスコミの報道の仕方があまりにもひどすぎたとコメントしている。
辺野古問題は、まだ終わった訳ではなく、これからが本番であり、実は辺野古に基地はできないだろうという見方は慧眼に値する。

http://www.videonews.com/on-demand/0471480/001449.php

様々なことが明らかになるに従って、日本には感情の鬱積が相当溜まっているために爆発するが(だからこそ民主党政権ができあがった訳だが)、マスコミはその鬱積を利用して空気を作り上げてくる。

だからこそ、世界全体で、何がどうなっているのかよく認識する必要がある。

後記)
マスコミの事前リーク問題ついては以下。岡田外務大臣のコメント。誰が事前リークの情報を流して妨害したのかを考える上で、2番目の佐藤優氏のBLOGと併せて読むとよく分かる。
http://news.livedoor.com/article/detail/4790362/

佐藤優の眼光紙背より。今回の普天間をめぐる民主党と官僚との闘いについて。
http://news.livedoor.com/article/detail/4799091/

国連生物多様性条約事務局の報告書から

国連生物多様性条約事務局(モントリオール)の報告書が、9日明らかになった。
1970年から2006年にかけ脊椎動物3割減少。熱帯では6割減少。生息地が耕作地や牧草地に転換するため破壊されたことが大きいらしい。そのなかでも両性類は42%の種で個体数が減少し、最も絶滅の危機に直面しているほか、植物の約4分の1は絶滅危惧種と考えられている。
報告書は、生物多様性は過去1万年にわたり人類の生活を支えてきたが、今後もその恩恵を受けられるかどうかは、今後10年から20年の取り組みにかかっていると指摘。
ごはんを食べに入った定食屋さんで読んだ毎日新聞より。

地球上の人口は、現在、68億6千万人。予測では、2040年くらいで90億くらいで打ち止まるだろうという予測を読んだ覚えがある。
中国とインドの人口増加に歯止めがかかるという説。しかし、そんな簡単な話ではないだろう。

人口増加は1800年くらいから産業革命とともに急激に始まり、平均寿命も当時は30歳強だったが、グングン伸びている。
http://www.unfpa.or.jp/p_graph/pgraph.html
水の問題も深刻。水が世界的に足りなくなる。
http://www.asahi.com/eco/forum2010/water/j/TKY201004080349.html

石油は、サウジアラビアが今後10年で枯渇し、イラン、イラクは30-40年で枯渇。(採掘方法によって石油量の埋蔵量に違いは出るが、大体それくらい。)石化資源からの転換が全世界的に求められ、鉱物資源はもちろん枯渇。
地震は多発。火山の噴火もある。東京に関東大震災クラスが起こると、もう財政的ストックが無いので国家破綻する。

生態系は、昨年、ミツバチが激減して様々な影響を与えたけれども(受粉にも影響)、生物の多様性が激減することにともなって、様々な影響が出る。

人類が地球上で生きていけるかどうか、ギリギリのところまでいく。。。
新聞記事を読みながら、シミュレーションし始める自分がいた。

と言っても、地震については、いつも緊張する訳にはいかないので、さっさとやることをやってしまおう。

今やっているのは、地震のときに、物が凶器となって飛んでくるので、壁への固定。
数年前に地震保険はかけたのだけれど、火災保険とセットになっているため、高め。でもこれは仕方がない。

知り合いのリフォーム会社に聞いたところ、耐震リフォームは20万から可能らしい。
柱抜け防止、筋交いの補強を入れると強度がまったく違ってくる。これはどこまでやるか。
非常食は半年で交換。昨年の夏から交換していなかった^^;
事務所は、1980年代の建築基準法以前の雑居ビルに入っているので、同じフロアに建築構造力学を扱う会社があり話を聞いた。このビルはエレベーターの近くが頑丈なので、そこに逃げてくれ、とのこと。
やるだけやって元気に生きよう!

100年後の子供たちから感謝されることを、小さなことでもいいからやってみよう。

検察審査会での小沢氏 起訴相当について

小沢氏の好き嫌い、そして民主党の支援不支援は別にして、この起訴相当が導き出された経緯について、どんな資料が渡されて、起訴相当の判断がされたのか、また検察審査会への審査を依頼した匿名団体が、何者であるかも明かされないまま、事態は進んでいる。

郷原信郎氏(元検事・弁護士)が「小沢一郎氏に検察審査会が起訴相当の判断」を動画で話されているので、ビデオニュースで無料閲覧できる。

http://www.videonews.com/charged/news-commentary/0001_3/001423.php

昨年夏の衆院選で最高裁の裁判官が、自己紹介PRで紹介した裁判例は、いかに自分は無罪判決を行ったかを紹介しているが、現実に行っていることはまったく逆で、98%の有罪判決が下っており、世界の中でも異常に高い比率だ。
推定無罪が成立しないのは、何故か?

後記)こちらもチェックしておこう。
きっこのブログより 5/19
小沢幹事長の秘書の逮捕は自民党の指示との証言
18日に生放送されたCS局の「ニュースの深層」で、ゲストの元参院議員の平野貞夫氏が、数々の爆弾発言をして波紋を広げている。~後略~

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2010/05/post-0ca2.html

料理、そして男と女

今の時代、関係がソフィスティケートされているので、言葉が大切。
男同士の場合でも、年に開きがあると、なぜこの話をしているかという元を話さないと相手を否定しているように受け取られてしまうことも多い。基本は相手に良くなってほしいという前提。企業の人事担当は、褒めるから、理由を話して叱るに変わってきたたらしい。

特に女性とのコミュニケーションでは、男と女で持っている感受性のアンテナが異なるため、言葉の取りようも変わってきて
これがひいてはお互いが理解できずに困っているケースが多い。

例えば、パソコンを買う場合、男性はこの機能が付いていないと、などロジカルな面から入ることが多いが、女性は、パッと見て、私、このパソコン好き!という全体把握的な捉え方をする。

「話を聞かない男、地図の読めない女」という面白い本があったが、女性はマルチタスクで男性はシングルタスクを紹介していた。
男はある意味単細胞のシングルタスクなので、何かに集中しているときに話しかけられても駄目なのである。
女性はマルチタスクなので同時にいろんなことができる。
言葉の使い方も女性は横のコミュニティーを作っていく言葉の使い方に対して、男は違う。

男は定年退職したら寂しい生活が待っているケースが多いけれど、女は横のつながりをずっとキープできる。男同士は何かないと電話できないのに対して、女同士は気軽に電話できる、などなど。

私の姉は、大阪で料理研究家をしていたのだが、定年退職したオジサン達に料理を教えていた。
これが大好評で、オジサン達は子供達や友達に対して、こんな料理を作ったから持って行ってあげるね、というように関係を作りやすくなり、
とても感謝をされていた。

手の凝った料理は、効率と生産性から真逆にあり、食べてくれる人が喜んでくれたとき、本当に嬉しい。

心から大切にしている異性がいると、この性差の違いを分かろうと努力する。
そして、意識はかくも自己中心的かと思えるくらい自己中なので、自分を相対化できず、意識で形成されたアイデンティティを保持しようとする結果、自分を枠にはめてしまい様々な限界を自分で作り出しているのが実情で、大切にしている人がいると、ひょっとして俺がおかしいのかな、と振り返り、新しい発見を喜びをもって迎えることができる。

さて、料理について、恩師が教えてくれたことのひとつを紹介すると、包丁は男が研ぐこと、だった。
この意味は深い。
分かる人にだけ分かる。