「分かる」とは、どういうことなんだろう?
そんなことを考えていた日だった。
昼、小林秀雄さんの講演CDを聴いていた。
そこで、本居宣長さんについて、以前は2つの側面で説明しようとする人たち対して
直覚的に違うと感じた、らしい。
こういう面もあるし、もう一つ別の面もある、というように。
小林秀雄さんは、本居宣長が一つになって現れてくるので読み込んだという。
分ける → 分かるということは一体どんな行為をしているのだろう?
分ける人が、その人にとって、都合のいい解釈やグルーピングをしており、
それは分ける主体が恣意的な作業を行っているため、分けられたものは、本来のものとは異った断片に対象化されてしまう。
それは言葉によって分けられた数限りない断片を、ああだこうだとやっていることに他ならないのだろう。
人はその作業で自分を納得させているかで、友人らしき人たちと文脈を共有している訳だが、その結果、徒党を組むことになる。
本当は分けられない。だから簡単には分からない。
簡単には分からないと考えている人たちが、真理を求めるとき、アカデメイアの地平に光が射す。
そんなことを考えていた日だった。
今日、8月9日は長崎に原爆が落ちた日。
分けないで考えると、その悲惨さに胸が痛む。