まずは

世界が122年振りの猛暑を終え、秋の帳が降りた。

最近どうしてこんなに哀しくなるのだろう。まるで深い哀しみの大河にいるようだ。
表面的な言葉にも、瞬間的に誘われる笑いにも乗っかることができず、自分と向き合ってみると、まるでユングの集合的無意識のような深い哀しみの大河のようなものを感じる。

それは私一人ではなく世界中で多くの人々が共通に抱いている何か、ツケ刃もカンフル注射も効かない、そんな風に感じる。

こういうときは、ドストエフスキーを読むか、宮沢賢治を読むか。。。

この深い大河は何かを予兆しているのだろう。
いろいろな強欲が渦巻き、表層が繰り返される歴史の下で流れている何か。
すべてが終わってもそこから始めるしかない何かが集合的無意識のようにある。
認識は抜け出ることの第一歩だが、意識では抜け出せない。

まずは、秋の澄み切った空のもとで深呼吸してみるときに得られる自然からの応援を、瞬間から永遠まで拡げてみよう。
まずは、今日も昇りくる太陽の恵みを体いっぱい受け取ろう。
まずは、この宇宙で人類がまだ生きているとしたら、それは一粒の砂であっても希望が存在することだと考えよう。