アジアの未来について考える

第一次大戦後のアメリカの好況が、ウォール街の大暴落に端を発した世界恐慌の後、第二次大戦後のブレトンウッズ体制をもって合意した。(ウォール街の大暴落が、第二次大戦で終結したとは言えないので、修正。日本では高橋是清の金本位制からの離脱と大幅な金融緩和政策によるリフレで解決、同じくアメリカでも恐慌後のFRB金融引締め策の失策の後、金本位制からの離脱と金融緩和策で回復。11/4付)QE1,2,3と続くアメリカの追加緩和策は、カンフル剤で世界を持たせている手法。
QE1,2で加速されたインフレの後、止めればデフレという繰り返しの中で、残されている手法が無くなってきた。
膨大に膨れあがったマネーの流通が、どこではじけるか。
資本主義は次の成長へ向かえるITに次ぐ産業が生まれない限り、この巨大なリスクから逃れられず、ちょっとした亀裂が大きなヒビ割れを起こすようにして、持たせ続けてきた状況が一挙に崩壊する可能性を常に孕んでいる。

中国は、昨年から欧米からの投資引き上げが行われており、増資しているのは日本だけ。
0.4%の富裕層が7割の富を握るアメリカ以上の格差社会であるため、国内暴動は年間1万件を越えている。今秋の政権交代にともなって富裕層の海外への資産移転は急速に進んでいる。中国の政権は、北の共青団中心の現政権と南の太子党(昔の江沢民)との間で、相互に政権が入れ替わる。
古代においても、思想面は、北が孔子の儒教、南は老荘思想というように異なる。文化大革命の際に、孔子批判が行われたことは有名だが、今は修正されている。
しかし、唐、宋の優れた文化は元の侵攻により失われ、加えて4000年来の価値観であった「友」は、1992年以降の修正資本主義によってマネーに置き換わった。古来から伝わる文化が希薄になったため、社会の制御力をすでに持たず、資本を生み出す力が、中国人口のピークである2040年頃には大高齢化社会とともに大きな転換点を向かえることも意味している。

今秋就任予定の習近平(太子党の江沢民系)は、南の太子党になるため、胡錦濤ー温家宝政権&鳩山ー小沢政権で見られた当初の蜜月は、厳しい。胡錦濤直系の李克強(小沢一郎のもとで書生をしたので、小沢ー中国には太いパイプラインがある)は、習近平の次の指導者として北京側で内定しているが、それまで日中関係は非常に厳しい状況となるだろう。

バブルの亀裂がはじけたとき、アジアで影響を受けるのは、中国と韓国、そして日本である。はじけたときの中国の荒れ方は、すさまじいものになるだろう。それは今回の尖閣問題の反日デモを見れば判る。この反日デモは、欧米諸国が対中投資への疑問を呈している。韓国は1997年のアジア通貨危機をIMFからの借入で乗り切っており、海外貿易依存が97%に上る。サムソン1社でGDP18%という脆弱な基盤の上に成り立っている。中国、韓国は、日本やドイツのように中小企業が強くない。

ガツンと落ちた後のアジアの展望を見据えていないと、混乱から生じるナショナリズムが火に油をかけ、政権は本来の問題を逸らすためにその混乱を利用するだろう。

アメリカは、20年先において朝鮮半島の安全保障に対して力をかけられなくなる。これはアメリカの多極主義者の展望であり、それはアメリカの財政赤字とGDPが20年先には中国に抜かれ、アジアの安全保障に対してコストをかけることができなくなるという前提で組み立てられている。白人比率も20%まで落ちる。多極主義者がめざすG2、アメリカと中国で世界の体制を作ろう、というビジョンは、キッシンジャー、ブレジンスキーらの立案がベースになっている。今のアメリカは、クレジットカードの発行減少にみられるように、自分たちのライフスタイルを消費過剰の傾向から見直すようになってきており、今後、自分たちの身の丈にあった生活と消費に戻る傾向が高く、これは逆にドルを強くする。

日米安保条約も効力を無くしていくだろう。

そのとき、日本は、そこにインドを加えて、アジア経済の将来にどう貢献できるか、そこにかかっている。

7月シンガポールの大学の先生を話す機会があった。
日本の政治的混乱については、深く頷いて、シンガポールは、将来的なビジョンとして中国とインドの方向を見ていると語っていた。

将来的に、中国と韓国の反日教育と運動は、両国の国益を阻害することになるだろう。大混乱で底をつくまで売られ、そして買い戻されるというヘッジファンドの餌食となるだろう。ちなみにリーマンショック前のアメリカGDPに占める金融マーケットの比率は、3割である。日本のGDPは、450兆ほどなので、その150兆が金融マーケットで稼いでいることになる。

たとえ大混乱があっても、その先に、アジアの共存と平和を見ていない限り、ヘッジファンドの餌食になることは確実だろう。20世紀半ばまで続いたアジアに対しての植民地政策がかたちを変えて進行することになる。ヴィジョンの共有が無い限り、困難に耐えることは無理であり、今はまだ厳しすぎる。