今年はアメリカ大統領選の年。アメリカの現政権は、選挙まで株を落とすわけにはいかないため、何が何でも上げてくる。そのためには、ユーロ危機すら手のひらを返したように買い戻しが入る。ドル売りユーロ買いが株上げの条件となる。つまり、リスクオフでないと株は上がらない。リスクオンでドル買いとなる。
このユーロ買いは、ユーロ共同債で南欧を救うというプランが前提となっている。9月12日にこの共同債が違憲かどうかの審議結果が出る。ほぼ条件付きであれ通ると読まれている。その後のFOMCにおいても、バーナンキ議長のドル安肯定はよっぽどのことが無い限り崩れないと見られている。9月7日のアメリカ雇用統計の数字が良くなかったため、いつ何時でも追加緩和の用意があるというメッセージングもユーロ高を支持している。
このリスクは原油高であるが、全体として、危機救済のためには仕方ないと見られているだろう。
はたして、この流れはいつまで続くのだろうか?年内はもつかもしれない。
要は、2007年6月をピークとして、リーマンショックに至った経緯は、未だ薄氷の上を歩む資本主義が、次の新しいステージ、産業を生まない限り、何も変わらないこと。一時的な戻しであることになる。何故、リーマンは潰されて、AIGは残ったか?デリバティブの残債が巨大であったこともさることながら、リーマンはロスチャイルド系に分類され、アメリカの新興財閥系WASP系ではなかったため精算されたと見るが、たった8%の損失でもあれだけの震度があったのは、CDO,CDSのデリバティブがそれまでの限られたマーケット市場の規模を数学的に非常に複雑な仕組みで実体経済以上にパイ自体を巨大に見せ、市場参加者の利益を嘘のように作り上げた結果、サブプライムに発する小さな亀裂が全体の亀裂につながり、複雑系の「べき常則」である砂山に砂を積みまして突然崩れるようにして崩壊し、その後は、追加緩和策を2回実行し、今に至るというのが金融の歴史だ。
今年のギリシャ危機からスペイン危機がたった数ヶ月前のことであり、世界は四半期で激変するのが当たり前となっている。
中国とインドの落ち込み方もひどく、友人に中国の状況を聞いてみたところ、日本と同じで大学を出ても就職が無い学生が5割。インドは投資不適確の烙印を押され、今後の展開に苦しんでいる。韓国も同じ。韓国は1990年後半に国家財政破綻し、IMFの介入があった訳だが、この理由は、対日本へのジェラシーが競争力分野で造船などマーケットを見誤ったところに巨額の投資を行い、アジア通貨危機(ジョージ・ソロスがタイ通貨への仕掛けた大暴落に端を発する)で財政が破綻した。その後、IMFは8%(何故こんなに高いかは悪徳な理由がある)ほどの金利で韓国を救済するという名目で高金利政策を行い、海外からの投資を集め持ち直すが、韓国経済は、外資に依存し、輸出に依存する脆弱な基盤であるため、次に恐慌レベルの落ち込みがあり全体の経済が信用収縮したとき、とても持続できる基盤ではないことが知られている。日本は通貨スワップでこのとき韓国を救う訳だが、竹島問題で今白紙に戻している。
さて、話をもう少し遡ってみると、ウォール街の大暴落に端を発した恐慌は、第一次大戦の後、巨額の負債に苦しむドイツからヒトラーを生まれ、第二次大戦を経てようやくこの恐慌に解決がついたという歴史がある。今の状況は、昔ならば戦争しか解決の手段が無かった。
まだ、膨大に拡がる世界中での暗黒デリバティブの負債を解決するのは、マネーサプライを増大させるしかなく、インフレにもっていくしかないのだが、経済成長がゼロサムを続ける限り、自ずと限界がある。ハイパーインフレにはできない。デノミ、通貨バスケットでの地域的解決が、このインフレの解決手段になるだろう。
回避できるのは、次のステージに向けた資本主義・社会のメタモルフォーゼというか変容しかなく、個人の自由と社会の調和、創造と幸福、相互扶助をキーワードにした人が生きる内的な意味でエネルギーが優先される社会と経済のポテンシャルが上がることによって達成されるだろう。
この変化とともに次の社会がある。エントロピーの増大と複雑系は避けて通れず、積極的に受け入れて明日を生きることでしか開けないのである。だからやることが多くなる。
現在、どこの先進諸国においても政治が機能していない。
あまりに複雑すぎる要素に対して政治が対応できなくなっている。
日本にはすべてが集まる。
神も文化もモノも。そして受け入れられている。
多様性を受け入れて自分たちのものとし、明日を生きる統合力を持っている。
日本人には何故それができるのか。
私は海外30数カ国に行ったが、こんなことができるのは日本だけなのである。
戦後の愚民化政策からの覚醒は、歴史的事実を認識することから脱出するとして、自分で物事を考え動ける若い人たちが増えてくるだろう。
20代の人たちと話すと、就職先にこだわっていないようになってきている。世に言う一流企業に就職しても5年後にはリストラにあうかもしれず、自分たちの能力と経験値を上げる人との出会いを求めているように思う。団塊の世代とロスジェネの断絶もここにある。そして退社の理由の8割が上司との不和という理由がある。
日本の大企業は、戦後に誕生しすでに60年経過しているため、システムが古い。特に意思決定が遅いのと、既存権益組にも配慮しなくてはならなかった。しかし、仕事をする上で大切なマインドからやる気、ビジョンの共有を築くシステムが単純すぎて状況に合わず、古くなっている。今までのシステムで生きることができた団塊の世代や50代60代の人たちは自分たちの経験値で物事を図るためギャップが生まれている。私の周りで20代の人たちが独立していくケースが目立ってきた。とても元気だ。話していると仕事をしていないオジサンたち、世間知らずの自己中オバサンたちがうざくなる。
こういうイキのいい若い人たちが、日本を捨てないことを祈っている。彼らはとても仕事をしている。
いずれ彼らは会って元気になる人との間でしか仕事をやらなくなるだろう。
すでにオジサン、オバサンたちに下克上を突きつけている。
若い人たちにニーチェが読まれているらしい。ニーチェは言説がすべて反語になるが、読み方を間違えない限り、自由と価値の創造を説いている。