小林秀雄と岡潔の対談「人間の建設」から

小林秀雄と岡潔の「人間の建設」という対談集を読む。
いくつも引用したいところはあるのだけれど、
伝えたいことからして以下に絞ろうと思う。
専門分野はさらに複雑化していて、現在の数学は新しい論文を読むのに大学院のマスターコースを修了したくらいでないと分からないということで、
非常に時間がかかるものとなっている。その結果元となる数学の創造性や面白さや、そして岡さんの言う情操を育むのが、非常に難しい状況となっていることを知る。よく分かる。
P・ドラッカーの言葉で、人間は、複雑化していく社会の情報のコントロールをいつかできなくなるだろう、というメッセージは、現在の同じ状況を示している。(だからこそ、ドラッカーは、マネージメントを説くのだが)
複雑化は、この場合、専門化、多様化と同義である。つまるところ、エントロピーの増大をベースに、事である知識や情報も肥大化していっている。
では、人間はこのエントロピーの増大をどのように生きるべきかという最大の命題に直面している。
岡さんの言う「情操」は、このエントロピーの増大とは逆のベクトルを持つ精神の運動ともいえる。人間こそが、このネゲントロピー(エントロピーの増大化に対して逆の指向性を持つ)を生きることができる。
先日書いた多様性と一途の同時存在は、物質と精神の働きと言い換えることもできる。このバランスが、すこぶる悪いのが現代とも言える。

小林さんも岡さんも、いい顔をしている。小林さんの顔は、よく見る写真に比べて、ややふっくらしているが、ふたりとも存在の香りがある。
この存在の香りは出そうとして出せるものではない。生き方から生まれるものだから。