知り合いからSteve Jobsの追悼をする会に誘われて、思ったこと。
MACは、あのドライブ感が好きだ。Powermac8100を当時メモリ積んで80万円くらいで購入し、爆弾マークが出ても、ひたすらひたすら耐えてメーカーの悪口も言わないという、それはそれはMAC信者だった^^;
昔、アップルの仕事をやっていたとき、お客さんと取引先という主従関係があまりなく、リゾーム的というか、課題があったらチームでそこにベストで挑むという文化で、面白かった。
Jobsは、賛否両論あるけれど、死の間際までいった人間の、ある何かが核になっているんだろうなあと思っていた。でないと魂が導かれるままに、とか出てこないでしょうし。ここはアメリカがJobsを経営者のモデルとして、社会全体のイノベートを図ろうとしても、なかなか実際には出てこないところにもなっているかと。
否のところは、ある意味、勝てば官軍なので、ウォズニアックはキツかっただろうなと思う。
Jobsは死ぬ間際に、何を考えたんだろう? それはappleの未来ではなくて、家族のことだったんだろうなあと思っている。
家族と会社がアンビバレントな関係になっていたことが、哀しいところだが、その埋めようのなかった隙間は、自分の子供に対して、お父さんはどう生きていたかを知ってもらうために、出版しているという、そこに託されていると思う。